家康紀行(33)静岡県静岡市「駿府城」

 前号では70年以上前に浜松で製造、引退から40年余りの時を経て、圧縮空気方式で復活を遂げ第二の人生を歩み出した、有田川鉄道公園の蒸気機関車を取り上げた。今週から家康紀行は駿府(静岡市)へと舞台を変える。
 静岡県静岡市。温暖な気候と豊かな自然に恵まれ、古くから今川氏や大御所時代の家康の城下町として栄えてきた。葵区、駿河区、清水区の3区で構成される人口約70万人の政令指定都市。
 駿府城は市の中心部に位置する。室町時代、今川範国が幕府から駿河守護職に命じられ、以後、今川氏により治められた。今川義元の頃、家康は7歳から18歳までこの地で人質として暮らした。桶狭間で今川義元が織田信長に討たれ、今川氏は急速に衰退し永禄11年(1568)武田氏の駿河侵攻により駿府を追われた。
 天正10年(1582)家康が駿府の武田氏を追放。同13年(1585)駿府城の築城を始め、居城を浜松城から移した。同18年(1590)豊臣秀吉により関東に移封され一時は豊臣系の中村氏が城主となる。
 関ヶ原の戦いに勝ち、慶長8年(1603)征夷大将軍となった家康は江戸幕府を開くも同10年(1605)将軍職を息子の秀忠に譲り、同12年(1607)大御所として駿府に入った。この際、城の拡張と修築、安倍川の堤の改修や城下町の整備が行われ現在の市街地の原形を造った。
 同14年(1609)からは家康の十男、紀州徳川家の祖である徳川頼宣が、和歌山城へ移封される元和5年(1619)までの10年間、城主を務めている。
 寛永12年(1635)城下の火災により建物の大半を焼失した後、御殿、櫓、城門以外、天守などが再建されることはなく現在に至る。平成に入り巽櫓や東御門が復元。駿府城公園として市民に親しまれている。
(次田尚弘/静岡市)