家康紀行(39)朝鮮通信使遺跡「清見寺」

 前号では家康(当時の竹千代)が今川氏の人質であった頃に教育を受けたとされる、今川氏の菩提寺・臨済寺を取り上げた。今週は家康に縁の深いもう一つの寺を紹介したい。
 静岡市清水区にある「清見寺(せいけんじ)」。臨済寺から北東へ約15㌔に位置する臨済宗の寺で、臨済寺の建立に携わった今川氏の家臣、太原雪斎(たいげんせっさい)が住職を務めた寺。太原雪斎に師事していた家康はここでも手習いを受けていたとされる。
 奈良時代の創建で、鎌倉時代には足利尊氏や今川義元、江戸時代には徳川家から帰依を受けてきた。
 寺の程近くに東海道が通り、朝鮮通信使の休憩場所として使用されたことから「朝鮮通信使遺跡」として国指定の史跡となっている。秀吉による文禄・慶長の役を機に断絶していた李氏朝鮮との国交回復のため徳川幕府が外交手段の一つとして提案した朝鮮通信使は、将軍の交代ごとに派遣され日本を訪れた。書画や漢詩に優れた通信使と地域の人々との文化交流も盛んであったとされ、その頃の漢詩や木彫りの扁額が多数残っている。また境内の庭園は国指定の名勝となっている。
 清水港を望む高台に位置し、今でこそバイパス道路が通り護岸が固められているが、その当時は海を目前に今以上に風光明媚(めいび)な地であっただろうと推測できる。ユニークであるのは境内の参道をJR東海道線が横切っているところ。東海道五十三次の17番目の宿場町である「興津(おきつ)宿」に駅を誘致しようと付近の住民を巻き込んだ熱心な活動が行われ、当時の官設鉄道として興津駅が開業したという。
 海を越えた人と人、人と文化をつなぎ、紡いできた寺。ぜひ参拝してほしい。
(次田尚弘/静岡市)