家康紀行(45)遥かに岡崎を望む「神廟」
前号に続き、元和2年(1616)から1年7カ月の歳月をかけ創建され、平成22年12月に本殿、石の間、拝殿が国宝に指定された久能山東照宮を紹介したい。
御社殿からさらに奥へと進むと重要文化財に指定された神廟(しんびょう)がある。神廟は本殿後方の廟門(びょうもん)から40段ほどの石段を登ったところにあり、家康の亡きがらが埋葬された。創建された頃は木造の桧皮葺の建物であったが、寛永17年(1640)に3代将軍の徳川家光により石造りの宝塔につくり替えられ現在に至る。宝塔は約8㍍四方の広さで、そのほぼ中央に高さ約5・5㍍の塔が建つ。
この神廟は西向きに建てられており、家康の生母が子授けの祈願をしたという愛知県新城市の鳳来寺(ほうらいじ)、岡崎市の松平家代々の菩提寺である大樹寺、自らの生誕の地である岡崎城が西の方角にあることに由来し、これも家康の遺命によるものだという。
数々の家康の遺命により造られた久能山東照宮であるが、遺命はこれだけではない。「亡骸は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎた後に日光山に小堂を建てて祈ってほしい、そうすれば関八州(関東の相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野の8国)の鎮守になろう」と残している。
家康の命に従い元和3年(1617)4月15日、久能山東照宮から下野国日光へ移され、同年4月17日、二代将軍秀忠はじめ公武参列のもと東照社として鎮座。その後、正保2年(1645)に宮号を賜ったことから、東照宮と呼ばれるようになった。言わずもがな「日光東照宮」である。
(次田尚弘/静岡市)