家康紀行(46)平和を表す「東照宮」の彫刻

 前号では家康が故郷を思い建てられたといわれる、久能山東照宮の「神廟」を紹介した。一周忌に合わせ、自らの命により下野国日光で東照社として鎮座した家康。平和を願う遺志とともに、家康紀行を振り返りたい。
 日光東照宮は明治元年の神仏分離により神社の「東照宮・二荒山神社」、寺院の「輪王寺」に分けられ、これらの建造物群をとりまく遺跡が「日光の社寺」として世界遺産に登録。中には国宝9棟、重要文化財94棟の計103棟の建造物群が含まれる。
 現在も残る荘厳な社殿群は寛永13年(1636年)、3代将軍家光による「寛永の大造替」により建て替えられたもの。全国から集められた名工による極彩色の建物や、施された数々の彫刻は観る者を圧倒する。数々の動物たちの木彫像、見ざる言わざる聞かざるの「三猿」や「眠り猫」などは、よくご存じのことだろう。
 これらの動物は平和の象徴とされ、猿は馬を守る存在であるという伝承から、合計8面で猿の一生が描かれ、見ざる言わざる聞かざるは、「悪事を見ない、言わない、聞かない」といった平和な人間の暮らしの在り方を表現した教えであるといわれる。
 また「眠り猫」は家康を守るためにわざと寝ているふりをしてすぐに飛びかかれる態勢にあることを示しつつ、眠り猫の彫像の裏に描かれた雀たちが舞う姿からは「雀が居ても猫が眠るほど平和」であることを表現しているという。
 年の初めより、家康が生まれた岡崎から浜松、そして駿府へと、家康の生涯を追い続けてきた家康紀行。争いを好まず、平和を願い、周囲の支えをもって自らを高めていく。現代の私たちに相通じる人間味を感じ、どこか親しみさえ覚えたのは筆者だけだろうか。(次田尚弘/静岡市)