雑貨店の店長3年目 中国出身の宋玉敏さん

 中国・山東省出身の宋玉敏さん(34)がイオンモール和歌山の生活雑貨店で16人の従業員を束ねる店長となって3年目を迎えた。来日して13年。どんなことにもへこたれない。「与えられた試練はチャレンジしてみよう」と前向きに努力を重ねて今がある。昨年7月には日本の永住権も取得した。「つらいことも多かったが、振り返れば全て勉強だった。ずっと日本にいたい」と意欲を見せる。

 中国の師範学校を卒業後、日本にやって来た。大阪市内の日本語学校に通いながら中華料理店で働いたが、日本語が分からず客の注文が聞き取れない。学校の紹介で今度は豆腐工場で働いた。午前3時半に出勤する生活。学校と両立できなくて困っていたら、弁当工場を紹介された。仕事は深夜で、他の中国人と一緒に夜通しひたすら弁当を詰めた。

 中国では4人家族の長女。決して豊かとはいえない家庭に育った。日本に行くと決めたとき、母が親戚中を回りお金を工面してくれた。「仕送りはできない。借りたお金は必ず返しなさいよ」。その言葉がいつも頭から離れず、しんどいときのバネになった。

 2008年には和歌山大学教育学部に進学。最初の2年間でほとんどの単位を取得し、残りの2年はアルバイト。学費は奨学金でまかない、生活費や家賃は必死に稼いだ。

 卒業年になり、「せっかく日本に来たのに手ぶらで帰れない」と就職活動を始めたときに紹介されたのが貴金属販売の㈱セキネ(和歌山県有田川町)。玉敏さんと初めて会った社長の関根浩史さん(62)は「物おじしない、挑戦意欲の高い子だな」と感じた。明治創業の老舗で初の外国人採用となった。

 宝石のこともよく分からない玉敏さんを、関根さんは海外出張や展示会によく連れて行った。商品の仕入れや交渉、商談の駆け引きを見せ、玉敏さんも日本のビジネスの流儀をどんどん吸収した。

 15年には同社の生活雑貨店の店長を任された。初めての管理職。当初は玉敏さんのストレートな物言いに従業員が反発することもあったが、「相手がどう受け止めるか想像して言葉を選ぼう」と心掛けるようになってからは落ち着いた。「言葉の壁と文化の壁があり、外国人が管理職を務めるのは難しい。彼女は両方をクリアした」と関根さんも温かく見守る。

 母が親戚に借りたお金は就職前に完済した。入社1年目には、貯めた給料で両親に車を買ってあげた。「心も体も丈夫」なのは、厳しく育ててくれた母のおかげだ。

 「社長にも会社にもお世話になり感謝している。お金に困らず仕事ができる今が一番幸せ」と玉敏さん。一つだけ気に掛かるのは、年老いていく両親のこと。「娘に心配かけたくない」と、父が大けがで入院した時も知らせてくれなかった。「もっと親孝行したいのですが」。出勤前、実家に電話するのが玉敏さんの日課になっている。

「最初は不安でも、後の楽しみは大きい」と前向きな玉敏さん

「最初は不安でも、後の楽しみは大きい」と前向きな玉敏さん