西条藩を知る(4)有志で修復「西条陣屋・北御門」

 前号では西条藩の藩政の要であった西条陣屋と、200年以上の時を超え現存する大手門の歴史について取り上げた。今週も西条陣屋に残る遺構と、西条藩が存在したことを後世に伝えようとする市民の活動を紹介したい。
 西条陣屋は、前号で紹介の大手門が建てられたとされる寛政年間(1789年から1801年ごろ)より前、寛永13年(1636)に一柳直盛が立藩したもの。その頃に使われていたとされる当時の大手門が、解体されることなく現存している。
 当時の大手門は現在の大手門が造られた後、西条陣屋の北口を固める「北御門」として移築された。北御門は下級武士らの通用門として使用されていたという。天保6年(1835)西条藩9代藩主の松平頼学(よりさと)がお国入りした際、引き戸から開き戸へと扉の様式を変えたという。中央に開き戸を持ち、左右に潜り戸がある。現在は強度を保つため固定されている。
 版籍奉還後、北御門が裁判所や役所、武道場の門として所在を転々とし、昭和40年、西条市から西条高校へと譲渡。以後、高校の敷地内(西条陣屋跡)へ仮設置されたが、その傷みは激しかったという。それを見兼ねた高校教諭が西条藩の遺構を後世に残そうと強い思いを持ち、市民の有志らで委員会を設置。高校や行政の支援、一般市民や企業等からの寄付金を得ながら修復を進め、平成25年9月に完了。大手門近くの西条郷土博物館の東側で、博物館を訪れる人々を見守り続けている。
 一柳氏から松平氏へと藩主が移り変わった歴史を伝える貴重な郷土の財産を守り、後世へ伝えようとする市民の郷土愛を感じた。
(次田尚弘/西条市)