明治期に築かれた「由良要塞」

由良地区に残る「由良要塞」の一部
由良地区に残る「由良要塞」の一部

前号では、美しい白砂と松林が広がり、紀淡海峡を望む「洲本温泉」の歴史と魅力を取り上げた。今週は洲本市の南に位置し、和歌山とのつながりを最も感じさせられる「由良要塞」を紹介したい。

由良要塞は旧陸軍が大阪湾を防衛する目的で、紀淡海峡を望む洲本市と和歌山市に築いた防衛設備。洲本市の由良地区、和歌山市の友ヶ島地区、加太・深山地区、鳴門海峡を防衛する鳴門地区の四つで形成された。

明治22年に由良地区から工事を着工し、明治29年に由良要塞重砲連隊が編成され司令部が開設されたという。明治36年に鳴門地区を編入し、日露戦争を経て明治39年に全ての砲台と設備が完成した。当時の政府は日本の防衛について、フランスの指導を仰ぎ、紀淡海峡は東京湾に次ぐ要所であるとの進言から、京阪神を守る近代要塞を築くに至ったという。

第2次世界大戦では航空機による戦闘が主となり、これらの設備は使用されることなく終戦を迎えた。米軍により撤去されたが、由良地区にも和歌山市と瓜二つの遺構が見られ、海を隔てて設備が連立していたことを理解できる。

現地は展望台や見学ルートが整備され、洲本市中心部から車で30分程。筆者が訪れたのは夏で、うっそうと生えた木々により昼間でも薄暗く少々心細さを感じるほど。筆者の携帯電話は電波も入らず、秘境の地に来た気分であった。

海でつながる隣町である洲本市。なじみは深くないかもしれないが、食・産業・遺構の歴史をたどれば多くの共通点がある。訪れて微妙な違いを感じることで両市の魅力が見えてくる。ぜひ、来年の旅行先として洲本市を候補に入れてみてほしい。(次田尚弘/洲本市)